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【桐谷ヨウ寄稿文】誰かと一緒に住むつもりなんてなかった

結婚前の方へ まじめ ピックアップ
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はじめまして。Kekoon(ケコーン)読者の皆様。コラムニストの桐谷ヨウです。

今回は同棲についてのコラムをお届けします。

 

 

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「誰かと一緒に住むなんて考えられない」

 

俺は五年くらい前まで本気でそう思っていた。二十代を過ぎてから、人恋しいという感覚と無縁になり、「ひとりが気楽で最高」「誰かに遠慮するなんて息苦しい」「まだ好き放題、遊んでいたい」という風に。

浪人時代に体験した寮生活が最高に楽しかったにも関わらず、シェアハウスは考えられなかったし、ましてや同棲なんて……オール監視の監獄生活と変わらねぇ! 俺はまだまだオニャノコと飲みてぇんだよぉ! といきがっていた。

 

そんな自分が同棲を始めたのは"ノリ"としか言いようがない。今の彼女と付き合い始めて半年経ったころ、当時住んでいた部屋に飽きて、引っ越しを決意した。

まだ遊びたい欲が抜けきっていない自分は恵比寿か三軒茶屋に住もうと思っていたのだけど、彼女と一緒にいるときに口をついて出たセリフがこれだった。

 

 「一緒に住む?」

 

当時、「恋人と会うのは2週間に一度で充分」がお互いのポリシーだった。だけど、彼女とは週に三回は会っており、おまけに彼女が俺の家に来てくれるケースばっかりだったのだ。その上、彼女が住んでいた赤羽から恵比寿まで来てもらうのはやっぱり悪いな、という後ろめたさもあり、何となく「アリかも」という思いで、言ってみたのであった。というか、言ってしまったのだった。
 
彼女は「うん!」と軽やかに承諾してくれた。
向こうとしても「一緒に楽しくやれそう」という思いだけでなく、「コイツまだ遊びっ気が抜けていないからちょうどいいだろう」という打算もあったのかもしれない。
世田谷のデザイナー物件にアタリをつけ、内見に行ったその日に『アド街ック天国』で街が紹介されていたこともあり、「間違いない!」と二人でテンションを上げながら、同棲をスタートしたのであった。

 

 

 

さて、同棲の良いところは何だろうか?

よく言われることに「生活コストが下がる」というのはあるのだろう。家賃や公共料金が半額とはいかなくとも、一般的には費用が一人暮らしと比較して1.5倍程度で済むのだから、結果的には安い。(うちは家賃が割高の物件に住んでいるので、あまりメリットを享受していないのだけれど)

 

でも、そんなことより「絶対にパートナーが同じ空間に居る」ということが、やっぱり最高だ。

 

恋愛に於いて「会えない時間」は、大好きな気持ちが熟成される美しい孤独であると同時に、不安や疑念をグチャグチャにかき混ぜられて、それに振り回される悪夢の孤独にもなりうる。

当たり前だけど、その時間がないのだ。帰ってくるとパートナーがいる。寝るときには隣にいる。「不在が不在している幸福感」って、やっぱり大きいのだ。

 

年齢を重ねるごとに、そして長期的な関係になっていくほどに、「安心できる」ことを希求する比重は高くなってくる。「パートナーがそこにいる」という事実は、たしかに実感することができる安心の手ざわりなのだ。

また、女性にそう感じてもらえるのは一人の男性として、本当に本当に大きい。

 

ずっと同じ空間で居られることで得られるものは何か? それは相手の繊細な機微を日常の中で捉えられることだと思う。具体的に言えば、パートナーにフラストレーションが溜まっているときに、ガス抜きの相手に即座になれるということだ。

個別に暮らしていると「会ってるときくらいは楽しく」なんて遠慮してしまったりするけれど、良くも悪くも同棲はその日にあった出来事を消化する前に、パートナーと顔を突き合わせる。

だから、表情がかげっているときに「どうしたの?」「疲れてる?」と声をかけてみるだけで、堰を切ったように話が出てきたりする。それを聞くだけで、相手はチョッピリ楽になれているかもしれない。少し表情が和らいでいる様子を見れると、一緒にいて良かったと自分も思える。

また、嬉しいことがあったときに、即座にそれを分かち合えるということでもある。細やかなサイクルで喜怒哀楽を共有できるのだ。そしてその積み重ねが、かけがえのない存在としての実感を膨らませてくれる。「ひとりの気楽さ」では埋められない、「二人の時間」の積み重ねが育んでくれるものなのだ。

 

もちろん制約は出てくる。赤の他人と一緒に住むわけで、それぞれに違うリズムを持った人間が同じ空間で生活するのだ。誰かと一緒に居られる安堵感と、独り身の身勝手さはトレードオフになる。 

だけど、それは二人の決め事でカバーしていける。例えば、うちの事情で言えば、お互いにベッタリとした関係というよりは、同じ空間でそれぞれ違うことをしているのを許容できることが大前提になっている。さりとて、完全にお互いを放置することはタブーである。

俺の彼女は「ベタベタされるのは嫌いだけど、ほっとかれすぎるのも嫌い」という性格だ。

これは「一緒にいるときは二人で何かをしなくてはいけない」という暗黙のルールがないので、彼女が同じ空間にいても、原稿を書いたり出来て、非常に有り難い。

反面、かまってオーラを小出しにしないだけに、自分のことで頭がいっぱいになっていると、彼女のことをおろそかにしてしまったりして、ある意味では間合いが難しい。

こまめに「自分だけモード」になっている自分を小突いて、「彼女に眼を配るモード」を引っ張り出す必要があるのだ。忘れていたでは済まされないものを引き受ける必要は出てくる。

 

自分は恋愛関係を考えるときに、惑星と衛星の関係を思うことがある。自転しながら、公転している惑星をサポートするように一定の距離を保ちながら隣にいる存在。

「自立と助け合いの共存」に思いを馳せるとき、あれに似ていると感じるのだ。自分が彼女の衛星であり、彼女が自分の衛星でもある。そして、一定の距離を取っていても、あなたは絶対に添い続ける特別な存在なのだいうことを身をもって示せるひとつの形が同棲なんじゃないだろうか。

 

どんなに二人で幸せにやっていても、「まだ結婚しないの?」と言われることが多々ある。もっと言えば未婚のアラサー女性には必ず言われる。籍を入れることが「幸せな恋愛のゴール」という意識が根深いのだと感じさせられる。

個人的には「内縁の妻」という概念があるように、形式に捉われる必要はないと思っているのだけど、紙切れ一枚でもっと安心をしてもらえるのであれば、それは意味があることなんじゃないだろうか? と思えるようになってきた自分がいる。

五年前、誰かと一緒に暮らすことなんて考えられなかった自分が、いろんな女の子を見たいと思っていた自分が、彼女との日々を「積み重ねること」で変遷させていった価値観のひとつだ。

そして、良いときも悪いときも、この人とならば一緒にやっていけると思えるようになったのも、あの時にノリで始めた同棲の日々のおかげだ。

 

いまは誰かと一緒に住んでみるのは「面白いよ」と心の底から言える。そして、あんなに守りたかった「ひとり暮らし」に、どこまでの意味があったんだろう、という気すらしている自分がいる。

 

 

 

 【著者紹介】

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桐谷ヨウ(@fahrenheitize

コラムニスト。主なコンテンツは恋愛・人間関係全般。
ブログ『My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only
2月に初の単著『仕事ができて、小金もある。でも、恋愛だけは土俵にすら上がれてないんだ、私は。』発売。著者による解説はコチラ

仕事ができて、小金もある。でも、恋愛だけは土俵にすら上がれてないんだ、私は。

仕事ができて、小金もある。でも、恋愛だけは土俵にすら上がれてないんだ、私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

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