【フミコ・フミオ寄稿文】フミオの結婚前夜

おもしろ ピックアップ 結婚式準備

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Kekoonをご覧の皆さんこんにちは! Kekoon編集部です。

結婚のかたちは人それぞれ。これから結婚式を挙げる人も、いろいろと悩まれていることと思います。そこで今回は、有名ブロガーのフミコ・フミオさんに、結婚式の思い出についてご寄稿いただきました! フミコ・フミオさんの世界観をどうぞお楽しみください!

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こんにちは。僕はフミコフミオ。営業課長として働く41才、会社勤めの合間に10年以上もの長い間、うだつのあがらない会社員生活をブログに書き続けているヒマ人だ。そんな僕も人生最大のイベントのひとつ「結婚」をして5年目になる。そこで、ここいらで一度、僕自身のために振り返りをするとともに、近々結婚を控えている人、結婚について悩んでいる人のために、僕のオンリーワンな結婚とその準備についてお話したいと思う。


なぜオンリーワンなのか

アルカイダがニューヨークのワールドトレードセンターを攻撃した「911」が2001年で、スマップの「世界にひとつだけの花」がリリースされたのが2003年。そして国民的アニメ「ドラえもん」の声優のリニューアルが2005年。

2001年~2005年。わずか5年で世界は大きく変わってしまった。その時期こそ、人々が確実で安全なものなど何もない厳しい現実に直面し、漠然とした不安を持つようになり、そしてナンバーワンよりもオンリーワンへと世の人の意識が大きく変わった転機だったと僕は考えている。

なので、今から4年前、2011年、当時37才、結婚を控え、人生の折り返し地点に到達していた僕が、人生に勝利してナンバーワンになれないことが薄々わかりはじめた僕が、オンリーワンになるしか立身はないと強く思うのは自然の流れだったのである。結婚もオンリーワンでなければと思うのは当然のことだったのである。


外圧に負ける

結婚式を挙げるつもりはなかった。結婚式を省くことがオンリーワンで個性的だと考えたからだ。実際には個性的という評価は得られず、ただ、経済的や甲斐性的に大丈夫なのかという懐疑的な目で僕が見られただけであった。

もっとも、祝賀的なイベントがまったくなかったわけではなく、会社の同僚たちが結婚パーティーを催してくれた。僕自身はそのパーティーで十分ハッピーだったのでオッケーだったけれど、日ごとに、肉親や親族、特に義理の父母からの「あれ、式は? あ~やらないんだっけ。そーかそーか」「スケジュールはいつ空けておけばいい? あ、やらないんだったよな。そーかそーか」という有形無形の圧力に屈し、結婚式をやることになったのである。


はじめての共同作業

圧力に屈したとき、すでに結婚から半年が経過していた。普通ではもうだめだ。オンリーワンになれない。親族やその他が半年という時間の経過を忘れるような《普通じゃない》《特別な》式をやらないといけなかった。

「新郎は眼光だけは鋭いから何か大きなことをやってくれるにちがいない。大きなことをやる人物が普通の結婚式はやらないだろう」「新郎が毎晩酒でべろべろなのは、きっと、周りを欺いている仮の姿に違いない。もしそうでなければ本物のアホではないか」

そういった夫たる僕に対する周囲からのハイ・プレッシャーと強迫観念に追い詰められるようにして、僕と妻は自分たちで結婚式をセルフプロデュース、つまり自分の手で企画立案実行司会進行することにした。オリジナルで、スペシャルで、天上天下唯我独尊な私たちをアッピールするオンリーワンな式だ。

僕には狙いがあった。オンリーワンな式を自ら手がけることが妻との初めての共同作業となり、離婚することがなければという条件はあるのだけれども、一生の思い出になるのではないか。そうすれば妻は結婚というイベントに満足し、妻の望む欧州一周新婚旅行を一蹴できるのはではないか。そう僕は考えたのだ。


ハンドメイドは大変

ごく親しい親族だけが参加するアットホームでハンドメイドなパーティー。親族といっても僕の叔父叔母クラスになると、よくいえば美しく年輪を重ねてきた、悪くいえば棺桶に片足を突っ込んでいらっしゃる年齢なので、会場には、エグザイルが大音量で流れるようなパーリー感よりも、落ち着いた「和」の雰囲気が求められた。もちろん食事も「和」。

僕は、身近にいた結婚の先人たちに結婚式についての意見を伺ってみたけれど、結局、それらの、思い出補正がかかりすぎて参考にならなかった意見はすべて無視して、グーグル検索で集めた情報をもとにして会場を決めた。その会場は以下のとおりである。

《超有名ホテル内にある和食レストラン》

《20~30名程度の宴会が可能》

《食事は創作和食で格調がありつつ新しい感覚も持ち合わせている》

お食事コースは3種類松竹梅からセレクトすることが出来た。こういう、客の「高いのも安いのもイヤだなあ。そうだ真ん中にしよう。なんか中流なら世間体的に恥ずかしくないし」という意識の動きを読んで、真ん中のコースに誘導するような《松竹梅ビジネス》を心底嫌悪している僕は、迷うことなく《梅》を選んだ。僕が経済的に困窮していたわけではない。2011年当時の震災後の日本の景気はどん底で、とてもとても《松》をオーダーするような空気ではなかったことをここに付記させていただく。


オンリーワンになるための世界でひとつだけの花も自分で準備

会場は決まった。予約もした。僕は何かが足りないと思っていた。花である。結婚式場などは結婚という祝いの場を飾り立てるように、ホワイトやピンクや赤という綺麗な花がいたるところに飾られている。

ところが僕が選んだ和食レストランはどうだ。障子。盆栽。ししおどし、カコーン! 格調はあるが華やかさにかける。はっきりいって地味である。滋味がわかる年齢にはまだなりたくなかった。僕は花屋にいって、花を買うことにした。

花について教育を受けたのは小学生時代の「花の子ルンルン」が最後であり、ルンルンで得た知識も時の流れに流されて残骸もまったく残っていない状態。僕は店員さんに恥をしのんで、「花のことはルンルン以来まったくわからないのでよろしくお願いします」(原文そのまま)、と言った。すると店員さんは「ご希望されるイメージは?」と聞いてくるので、しばし沈思した後に「結婚式なので蜷川美花さんみたいなピンクピンクした世界観、具体的にいえばAKB48の『ヘビーローテーション』のPVが理想です」と僕は言った。結婚式当日、和室に並べられた赤白ピンクの場違いな花たちは、さながら炎上する吉原の遊郭で色情魔が暴れまわっているかのような、地獄絵図であったのである。


マリッジブルーという言い訳

さて、会場の選定予約と蜷川美花ワールドの調達について妻はまったく貢献していない。ここまでは僕のソロ活動で「ふたりの初めての共同作業」という名目は崩れ始めていた。バンドなら解散の危機だ。ギターを弾かないギターはクビなのだ。

「なぜキミは何もやろうとしないのか」詰問すると「マリッジブルーなの......」と妻は大げさによよよよよと泣き崩れてしまう。そして涙が止まると、厳しい目で僕の作業の進捗状況をチェックする。納得がいかない。ちなみにこのチェックにより食事は《梅》から《松》へと変更を余儀なくされたのである。理由は「ケチくさいからやめて」。

マリッジブルーといえば何でも赦してもらえると考えるその軟弱な精神が許せなかった。先が思いやられると思った。このまま数十年先までずっと妻がマリッジブルーだったらどうしよう。マリッジブルーの妻はすべての家事を生涯にわたって放棄してしまうのではなかろうか。イヤすぎる。結婚イヤだな......。そんなふうに悩んでいるうちに僕がマリッジブルーになってしまった。ブルーは伝染する。そのうち僕もマタニティブルーになるだろう。


人選

誰を招くか。どう招くか。これがもっとも苦労した。「コンセプトとして参加者を親族に限っているのだから簡単なことだろう」と仰る方は日の当たる街道を歩いてきただけ。僕のように人目を避けて日陰ばかりを歩いてきた人間は違う。

十五年前のことだ。僕は弟の結婚式に招かれなかった。僕が問いただすと弟は「近い親族だけの式にしたかったんだよ」と言った。近い親族。僕は母親の次に近い親族のはずなのだが、今思い出してもおかしい。軽くトラウマだ。以来僕は血のつながりをまったく信用しない冷血な人間になったのだ。

僕のような冷血人間を僕の結婚式から生み出したくなかった。トラブルも避けたかった。幸せな人生の門出に不幸が一片たりとも存在してはならない。しかし人間は醜い。ヒアリングしてまわってみると、親族血族のはずなのに、いや親族血族で近い関係だから憎しみも大きいのかもしれないが「あいつはイヤだ」「席を離してくれ」「奴が出席なら欠席」などと好き放題であった。聞かなきゃよかった。もしこれから結婚するという奇特な方がおられるなら、招きたい人の個人的事情を考慮するのはやめたほうがいい。まとまらなくなる。


カードやパンフも手作りだよ

マリッジブルーの妻は行動は起こさないが口だけは出すので、招待や席に置くカード類やパンフレットの作成も大変な作業であった。僕はフリー素材を使ってお手軽にカード類を作成していたのだが、僕よりもオンリーワン志向の強い妻はそれを強く拒否した。

《カードやパンフレットはオリジナル。それに用いるイラストや絵柄はすべてオリジナル》

それが妻の出した方針であった。文面については妻が考えたが、悲しいかな妻は絵心がゼロ、そこで多少絵心のある僕が仕事後のヘロヘロの頭で僕と妻の姿を模した《フミオ君とシノちゃん》というオリジナルキャラクターを考案し、カードやパンフレットに描いていった。

カード類を印刷すると、マリッジブルーの妻は普通紙に印刷したことが納得がいかないらしく、午前一時にラミネートコーティングするよう北の将軍様のように無慈悲に指示した。ラミネートいわゆるパウチである。招待状を出すにはギリギリのタイミングだったので、真夜中に眠い目をこすりながら、自分を模した《フミオ君》カードをパウチしていった。真夜中に自分の顔をデフォルメしたキャラクターをパウチし続ける中年男を僕なら見たくない。


結婚前夜

そんなこんなでようやく結婚式前夜。義父と飲むことになった。ドラマなどでよくあるベタなアレである。ちっともオンリーワンじゃない。「駅前に旨い酒を出す店がある」そういって義父はチェーン居酒屋「養老の瀧」へと僕を誘った。

生ビール中ジョッキでとりあえずカンパイ。特に積もる話もないので他愛もない話題をしながら中ジョッキを傾けていると、義父がいきなり真顔になってこちらを見るので仕方なく僕も真顔になって正対した。僕はこの直後の義父の言葉を一生忘れないだろう。義父は「このポテトフライ美味しいな」と言った。「そうですね。塩が効いてます」僕は言った。

アレじゃないのかよ。解ける緊張。中ジョッキ追加。その後「塩カラうまいな」「そうですね。塩が効いてます」中ジョッキ追加「枝豆うまいな」「そうですね。塩が効いてます」中ジョッキ追加という極めて有意義なやりとりが繰り返されて夜が更けていった。

会計をすませると義父は突然「あいつをよろしく頼む」と言って頭を下げた。つられるように頭を下げた僕に義父は続けた。「あいつはクセと思い込みは強いが、愛想と要領だけはしっかりするように育ててきたつもりだ」......「愛想はともかく要領はいいですね」「要領はいいだろう?」「そうですね要領は」僕にはそう答えるしか出来なかった。そんなしょっぱい三日月の夜であった。


当日

当日の出来事はこの文章の本題ではないので詳しくは書かない。正確にいえば書けない。なぜなら、そこまでの疲労と緊張と蜷川美花ワールドに気圧された僕は、酒をがぶがぶ飲んで酩酊状態となってしまったからだ。正気になったときに僕の耳に届いたのは出席者からの「新郎は大丈夫なのか?」という僕への厳しい声と「この式も新婦がすべて手配したみたいだ」という妻への賛辞の声だった。妻は持ち前の愛想と要領で新郎が酩酊となった悲惨な式を乗り切ったようである。


まとめ

店の手配やその他の細々とした準備を自分たちでやるのは大変だったけれど、今思えば、とてもいい思い出になった。もちろん僕のようなDIYな結婚だけでなく、全部をプロに任せる結婚も、全然ありだ。

大事なのは、DIYな結婚を選ぶのであれ、結婚式場などのプロにお任せの結婚を選ぶのであれ、自分たちで「決める」ことだ。結婚準備はいわば夫婦はじめての共同作業なのだから。ちなみに、もし、ふたたび結婚式をする機会があったら今度はプロにお任せしようと僕は決めている。





■仲良く結婚準備をしましょう



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