はじめまして、ライターの神田と申します。一年中、ボーダーの服を着ています。
突然ですが、皆さんは「終活」という言葉を聞いたことがありますか? 自分の死を意識して、生きているうちに身辺整理をしておくというあれですね。最近、自分の親が夫婦そろってそれをリアルに始めたので正直びびってます。
だって、終活をするということは、自分の死を受け入れることと同義じゃないですか。僕にはまだできないです。死を想像することすらいやです。やりたいことはたくさんあるし、まだ結婚だってしてないんで。婚活はしてるけどね。
それにしても、世の中の夫婦はどんな気持ちで終活をしているんだろう。まだ死を受け入れられなし、結婚もしてない僕が言うのもなんですが、単純に興味があるんです。というわけで今回はKekoon編集の根岸と一緒に、終活カウンセラーの川崎直美さんに話を聞いてきました。
【取材した人】
川崎直美(かわさき・なおみ)
終活カウンセラー上級インストラクター。終活カウンセラー協会認定の「エンディングノート」書き方講師。相続・遺言・終活・離婚など、現代社会の家族問題を専門とする行政書士でもある。ブログ→http://profile.ameba.jp/omi09/
死ぬときに今の人生に納得できますか?
「さっそくなんですけど、終活を始めようとする夫婦って、大体いくつぐらいの方が多いんですか?」
「平均的には、70代後半が多いと思います。それでも若いかな」
「僕はみんなが何を悩まれてカウンセラーの元に行くのか、全然想像がつかなくて。終活って自分で物を整理したりとか、遺産のこととかじゃないですか。それ以外に何を悩むのかなと」
「ご相談のカテゴリーを、終活の中の分野として考えたときに、一番多いのがお墓ですかね。お墓を持っている場合、そのあとに誰が引き継いでいくのかとか。それに伴うご葬儀のことであったり」
「へえ。思っていたより、具体的な悩みが多いんですね。若い人は終活に来ないんですか?」
「若い人で、積極的に自分たちの終活をやっていくぞっていう方は少ないです。ただ、私は行政書士の仕事もしていて、40代や50代の方に話を聞くと『それって終活ですよね?』と思うことはあります」
「それはどんな?」
「特に男性に多いのですが、自分が死んだあと、親のことを含めて相続などをどうするかという話ですね。私の年齢が50歳にちょっと入ったところなんですけど、45歳を超えたところで突然死って多いんですよ」
「突然死」
「はい。今の高齢の方たちっていうのは比較的お元気なんですが、それよりも若い、ちょうどバブルを経験したような世代が『死』を意識している。まわりが突然バタバタと亡くなったりして、ハッと不安になるんでしょうね。お子さんがまだ小さいのに相談に来られる方もいます」
「遺品整理とかの相談もあるんですか?」
「ありますね。男性に多いのがパソコンの処分。今日もしもですよ、縁起でもないお話なんですけれども、帰るときに死んじゃったらパソコンのなかのデータをどうするんだという話で」
「......わかる。パソコンだけは絶対に破壊しておきたい」
「神田さんも人に言えない秘密とかあるんですね」
「誰だってあるでしょ。女性はどうですか? そういうのありますかね」
「そういうのかどうかはわからないですが、女性の方で面白いことを言っていた方がいました。40~50代くらいの方なんですが、死んだときのパンツが気になると。みっともないパンツじゃ死ねないと」
「おもしろいですね。みんな恥ずかしい部分は隠して死にたいっていう」
「そうですね。でも、後悔を残さないように毎日を一生懸命生きていたら、そんなことどうでもいいはずなんですけどね。死ぬときに人生に納得していること、それが終活なんじゃないかと私は思いますし、そのために今をどう生きるか、どう具体的に行動していくか、それを相談者と一緒に考えていくのがカウンセラーの仕事です」
生きていること、そのものが終活である
「そもそも終活の定義ってなんなんですかね?」
「終活って、元々は葬儀のプロデュースから生まれた言葉なんです。実は私も終活をしているんですが、私の場合は、そもそもお葬式がいらないっていうところから始めて」
「確かに最近は葬儀の形もいろいろですよね」
「は い。お金の問題とかではなくて、自分の好きなお花ばっかりに囲まれるとか、好きな音楽だけをひたすら流すとか、いろんな形がありますよね。食事会をすると か、結婚式の2次会の感じで生前葬をするとか。そういうことをプロデュースする方が増えてますよ~というのが終活ブームのそもそもの始まりだったんです」
「そうなんだ。でもお話を聞いていると、今の終活は葬儀のプロデュースというより、もっと広い話になっていますよね。遺品整理とか、相続とか、生き方まで」
「そうですね。それで言えば私は、生きていることそのものが終活であると考えています。葬儀って生きていた自分の身締まりの証なので、そこだけ派手にしても、なんの意味もないですから」
「葬儀......たしかに、自分の親の葬儀もどうなるのか気になるなあ。夫婦でうまく話し合ってくれたらいいけど。あの......終活を通じて、夫婦の結びつきが強くなるということはあるんですか?」
「あると思います。60歳くらいで大病する方がいますよね。自分が倒れたときのパートナーの献身的な看護に感動して、その大切さに気付かれたというケースもあります。死を意識することが終活の第一歩なんです」
「パートナーのいない僕には何ともうらやましい話です」
「死んだら婚活どころじゃないですもんね」
「まあ、そうだね。婚活やめるか」
「婚活もいいのですが、終活も早くしてほしいんです。だって、今この瞬間も終活なんですよ。今日友達に話した言葉とか、大切な人に伝えた言葉とか......それが最後の言葉になるかもしれないと思いながら生きてほしい。それに気づいて毎日を送ると、違うんです」
「違う?」
「はい。例えば、駅で人にぶつかられると、急いでるのに痛いじゃないって思いますよね。でも、あの人もいろんな人生を送ってるんだろうなとか、ちょっと見方を変えただけで、意外と許容できたりする。今生きていることと死ぬことはセットなんだと思うと、人にも優しくなれるし、随分毎日って変わるんです」
「スケールのでかい話になってきましたね」
「うん、いろいろ考えさせられるね」
ダメな自分を受け入れるのも「終活」
「実は僕、死ぬと思ったら、人に優しくなれたりとか頑張れたりっていうのすごい分かるんですよね。以前、腸チフスという伝染病で死にかけたことがあって、そのときに気持ちがそういう風になったんですよ」
「パソコンは破壊しなかったんですか?」
「うん、まだ生き残る方向に賭けてたからね。でも、そのときに芽生えた優しい気持ちが不思議なことにですね......」
「1週間ぐらいで忘れたんです」
「早すぎじゃない?」
「.........」
「いやいや、忘れるんですよ。人間だから。それは私もわかるんです!」
「でも忘れちゃうまでは、ちょっとのことでも感動できる自分がいたんですよ! これはほんとに!」
「人 間って、すぐに凡庸の世界に引っ張られるんです。だから、その世界を行ったり来たりして、なんで自分ってダメなのかなとか思ったりする。でもそれが幅って いうか、伸びしろっていうか、そんな自分を受け入れられたら、人生なかなか捨てたもんじゃないって、最期に言えるような気がするんです」
「なるほど」
「自分で決めたことを、自分で責任持つのが生きることで、終活はそのきっかけを与えてくれるもの。あぁ自分の人生どこかで間違ったかなと後悔したり、なんかしくじって誰かのせいにしたりとか、そういうのが一番嫌じゃないですか。最期に自分の人生まんざらでもなかったなーと思いたいし、そのための終活なんですよね」
取材を終えて
い ろいろお話を聞いてきましたが、僕は人間やっぱり死に様だと思うんですよね。生きているときより、死ぬときに人間は本当の意味で評価されるはず。村上春樹 が言うまでもなく、死は生の一部として存在しているわけです。だから、終活=生きることすべてという言葉には、膝を打ちました。
結婚して夫婦になっても、それはかわらないと思います。どちらが先に死んでも、終活をちゃんとやっていれば、きっと、気持ちよくパートナーを送ることができる。
僕たちは常に終活をしているのです。死に向かって。パソコンを壊したり(まあ必ず物理的に壊してから死にますが)、墓や相続なんかは些細なもの。終活はもっと大事なことを意識させてくれる。
僕はまだ、死を受け入れることができていません。なんせ一週間で忘れる男ですから。でも、毎日、いつ死んでもいいように後悔のない日々を送っています。それでいいのではないか、そんなことを思った今回の取材でした。
今日もがんばって生きるぞ。
【著者紹介】
神田桂一(かんだ・けいいち)
ライター・編集者。『ポパイ』『ケトル』『スペクテイター』などで執筆。バックパッカーで旅に関する寄稿も多い。現在ハマっているのは台湾。Twitter ID:@pokke
■あわせて読みたい記事
■結婚生活だって、終活なんだ