ごきげんよう、小沢あやです。
メダルラッシュで幕を閉じたリオ五輪。パラリンピックも始まるし、まだまだドラマは続きますね。そして、四年後の舞台はいよいよ東京! そんな中、「二児の母として育児をしながら1964年の東京五輪に出場し、銅メダルを獲得した」という超人女性が存在すると聞きつけました。
女性は、仕事か家庭か、何かと選択を迫られることばかり。壁にぶち当たってしまう人も多いです。実は私もその一人。今年入籍予定ですが、結婚してからも一生仕事を続けたいので、悩んでいました。そんな中、育児と五輪を両立して、しかもメダルまでとっちゃった! なんて超人の話を聞いたら、何でもできそうなアッパーな気分がわいてくるのでは?
そんな想いを抱きつつ、元五輪選手・小野清子(おのきよこ)さんにお話を伺いました。
小野清子さん。1936年生まれの元体操選手。二大会連続で五輪出場を果たす。28歳のとき、二児の母として挑んだ東京五輪では女子体操団体で銅メダルを獲得。引退後は政界にも進出し、18年間参議院議員を務めた。小泉内閣発足時には内閣府特命担当大臣として、青少年育成及び少子化対策・食品安全を担当。5人の子どもを持つ、とにかくスゴイ人。
ちなみに今回はKekoon(ケコーン)でもお馴染みの編集者・カツセマサヒコさんにも同行してもらいました。「運動神経が皆無なので話を聞いてみたい」とのことですが、話を聞くだけで運動神経が良くなるとでも思っているのでしょうか。
二児の母が東京五輪体操代表に!
「今日はよろしくお願いします。二児の母として五輪代表になるって、凄まじいことですよね」
「普通は出ないわよ! 私も出るつもりなんてなかったんだから!」
「えっ!? そうなんですか!?」
「子どもが生まれてからも体操を続けるなんて、私も家族も思ってなかったし、ましてや五輪なんて到底出られないと思ってた。でも、体操ってのは技術的スポーツだからね、肉体的な強さが戻ってくれば、ある程度はできちゃうものなの」
「そういうものなんですか......?」
「自転車だって、一回乗れるようになったら、しばらく乗っていなくても乗れるでしょ。盆踊りだってそうじゃない。夏が来れば思い出すし、できちゃう。それと同じよ」
「なるほど」
「いや、全然なるほどじゃない(笑)。妊娠中って、腹筋とかもできないじゃないですか。体力や筋力を戻すのも大変だと思うんですけど、小野さんは最初のお子様を出産されてから四カ月後には秋田国体で復帰されていたんですよね? センスも努力もすごかったんじゃないかなと......」
「大変だったわよさすがに。平行棒をやろうとしたら身体がそのまま飛んでいったりね(笑)。でも、自治体からは『秋田国体は平均台だけでいいから出てくれ』って頼まれたの。秋田は私の地元だし、国から経済的な寄付を頂いて海外に遠征した縁もあったから、『嫌です』とも言えなくって」
東京五輪で演技をする小野さん。この日、小野さんは銅メダルを手にする。
「では自ら希望したというよりは、周りの声があって出場することになった、ということですかね。しかも、それがきっかけで1964年の東京五輪まで選手として活躍する時代が続いたと」
「そう。でも、練習したって、最終予選で私が若い子に負ければ東京五輪には出られないんですよ。けど、代表に入るだけの点数を取れてしまったがために、出ることになったの」
「取れてしまったがために(笑)」
練習場には子どもを連れて 跳び箱をひっくり返して揺りかごに
「育児をしながらの東京五輪って大変だと思うんですけど、そういった選手へのサポート体制は手厚かったんですか?」
「ないない! 女の人が子ども産んでからもわざわざ体操なんて、する時代じゃなかったんだから! サポートの予算がつくわけない! コーチだっていなかったのよ。選手以上に体操のことを分かってる人なんて、いない時代だからね」
「コーチもいなかったんですか!? 今からすると信じられない」
「練習場だって、本当に小さなオンボロ体育館でね、跳場のための助走をとる距離もないから、体育館の外から走って跳んでたのよ(笑)」
「そんな状況で練習しながら、家事や育児もしていたんですよね? 効率よく家庭のことも回すために心がけたことはありますか?」
「全部自分でやるから、効率よくなんて調子のいいこと言ってられないわよ(笑)。当時、子どもは乳児院にも預けることができたんだけど、そこのベッドの柵が低かったの。ポロンって落ちて怪我させちゃうんじゃないかと思って、結局そこの産着を借りたまま家につれて帰ったのよね」
「親としての責任感もすごい......」
「『ベッドから落ちました』って言われてもね、預かってくれた人に『あなたが悪い』とは言えないでしょ? 人に責任を負わせてはいけないと思うから、自分でどうにかしようと思ったの。大変だったけどね」
「職場に子どもを連れていくのと似たようなものですもんね......大変そう......」
「現代も、働こうにも認可保育園に入れられず、心配な環境に預けざるを得ないお母さんもいますから。そこは今も昔も変わらないかもしれないですね......」
「責任は全部私にあるわけだから、子どもがどんな怪我をしようと何しようと、人のせいにしたら駄目なのよ。だから練習場にも子どもを連れて行っていたの」
「でも、体育館でどうやって子どものお世話を......?」
「跳び箱の一番上をひっくり返すと、ちょうどゆりかごみたいになるのよ。上が丸いおかげで揺れるから」
「発想が斬新すぎます......」
「あと、子どもは甘栗が好きだったから、剥きかけの甘栗をいくつか入れておくの。そうしておくと、中で一生懸命栗を剥いて大人しくしているわけ(笑)」
「アイディア勝ち!」
やっとの思いで迎えた東京五輪 開会式の思い出
「家事と育児と日々の練習を両立させてたどり着いた東京五輪だったと思うんですけど、最初は出たくなかったとはいえ、開会式は感動されたんじゃないですか?」
「さすがにもう、涙で前が見えなかったなあ。会場までの道のりを行進するんだけどね、会場に入れない人たちが沿道で『頑張れー、頑張れー!』って声をかけてくださるんです。その声に、選手みんなで泣いていた。『行進の足並みを揃えろ』なんて言われたけど、揃っているのか自分たちじゃ全然分からなくてね(笑)。写真も撮っちゃ駄目だから、カメラはポケットに隠して歩いたなあ......」
「リオ五輪の開会式では、選手が自撮りした動画をその場でSNSにアップしたり、かなり自由でしたよね」
「当時はそういうことは禁止されていたね。注意されないように、エラい人が見ていないところでこっそり撮ったけど(笑)」
「そうだったんですね」
「東京五輪は、主人が選手宣誓をやったんですよ」
※ご主人は、体操選手の小野喬(おのたかし)さん。四大会連続で五輪に出場し、金メダル5つ、銀メダル4つ、銅メダル4つを獲得した超人。現役時代は『鬼に金棒 小野に鉄棒』と言われた。
「選手団の顔だったんですね! すごい!」
「宣誓の最後に鳩を放つシーンがあるんだけど、『自分の苗字を言ったら鳩の入ったカゴのフタに手をかけて、名前を言ったら持ち上げる』という練習ばかりしていたわ(笑)。しかも当日、鳩が飛んだ途端に、エラい人にフンが落ちちゃったのよね(笑)。今思い返しても、おかしかったなあ(笑)」
「そんな笑い話まであるんですね(笑)。海外の選手との交流もあったんですか?」
「もう、みんな仲良し! ライバルだからって、いがみ合う人は誰もいなかったね」
現代の女性へエール 「察して、よりも言葉にすること。失敗しても男性を責めないで」
「最後に、仕事に家庭に悩む女性に向けて、小野さんからのアドバイスを伺いたいです。当時はお母さんが長時間外に出るっていうことがなかなか理解されにくい時代ですよね。旦那さんの理解などはあったんですか?」
「当時は、結婚したらスポーツも引退して、仕事も辞めるのが普通ですよね。私の主人も、家族を支えようにも、金メダルを取らなきゃいけない人だから、そこまで構っていられないわけです。そうなると結局は家事も育児も練習も、私がやることになってね。『これだけ寝不足でも、体育館に行けば運動できちゃうんだ』と驚いたし、人間ってけっこう強いもんだなあっていう実感は持ちました」
当時の家族写真。子どもはたくさん欲しかったのかと聞いたところ、「子どもは癒しだから。私が疲れていると『ママどうしたの?』と心配してくれて、それだけで元気になれた」とのこと。
「今は"産後クライシス"みたいな言葉も出てきて。『旦那が何もやってくれない』とか、パニック気味になってしまう女性も多いですよね」
「やっぱり『家事をしてくれない』って嘆くより、『私、今台所だから、あなたはおしめ替えてね』って自然と役割分担を促せばいいのよ。旦那が何もしてくれないのは、扱いが下手なだけ(笑)」
「勉強になる......」
「あと、男性の家事に対して、上手い下手は言っちゃダメ。おしめひとつにしても、『おしっこが漏れちゃってるじゃない!』とか怒っちゃったら、次はやらないからね。男性だってやったことないことを一生懸命やってるわけよ。みんな初心者は失敗するんだ、ってことを頭に置いてね。『私もこの前、失敗しちゃったのよ』くらい言って、安心させたうえで、協力してもらうのがいいと思いますよ」
「言葉にして、チャレンジさせることが大事、と」
「保育園とかのシステムがよくできているから、上手くいって当たり前だと思っちゃうのね、最初からベテランは居ないのよ。失敗しないで大成功! なんてことはあり得ないのよね。パンツやシャツが汚れたら、洗濯すればいい。いちいち喧嘩する必要ないのよね。まずは、やってみてもらうこと! それが大事です」
おわりに
大変だった競技と育児の両立生活を、あっけらかんと話してくださった小野さん。東京五輪を振り返るその瞳は、キラキラと輝いていました。
「仕事に家事に趣味......自分は人生でどこまでできるんだろう?」と、独身のうちから漠然とした不安に駆られていましたが、考えもしなかったことも、やってみたら意外と全部できてしまうかもしれない。小野さんの話を伺っていて、そんな前向きな気持ちになれました。更には、思いもよらず、男性の扱い方まで学ばせて頂きました。
「『察して!』と思わずに言葉にすること」、肝に銘じて夫婦生活をスタートさせようと思います。
◎取材協力
- 笹川スポーツ財団ホームページ
- 小野清子理事長 歴史の検証(pdf)
http://www.ssf.or.jp/Portals/0/history/pdf/story_25.pdf - 小野喬 歴史の検証
http://www.ssf.or.jp/ssf/tabid/813/pdid/233/Default.aspx
【書いた人】
小沢あや
1987年東京生まれ、女子校育ちの会社員。ウートピ(アイドル女塾 / 女子会やめた。)、SNEAKER HEROES(駆け抜ける足)での連載の他、女性アイドル・音楽媒体にてコラム・インタビューを執筆中。人生初ライブは森高千里。尊敬する人物は道重さゆみ。
witter:@hibicoto
■あわせて読みたい記事
■みんなの家庭の事情
■子どもを理由に諦めない! 家族の絆が強くなる結婚式♪