「ミキモト」、「タサキ」それぞれの歴史
まずはこの国内2大ジュエラーがどのように生まれ、発展していったのか、その背景を追ってく。
世界で初めて真珠の養殖に成功したミキモト
「世界中の女性を真珠で飾りたい」。そう強く願っていたミキモトの創業者 御木本幸吉は、1893年7月11日、志摩国鳥羽の相島(おじま、現:ミキモト真珠島)で世界初の半円真珠の養殖に成功した。その12年後の1905年には、真円真珠の養殖にも成功。黒蝶真珠や白蝶真珠の養殖にも取り組み、真珠養殖のパイオニアとしてその地位を確立してきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミキモト真珠島
世界初の真珠の養殖に成功してから6年後の1899年には、日本で初めての真珠専門店「御木本真珠店」を銀座に開設。その73年後となる1972年には社名を株式会社ミキモトへ変更し、ダイヤモンドや色石などの貴石商品も拡充していった。
その確かな質と技術は世界でも高く評価され、今ではニューヨーク五番街、パリ・ヴァンドーム広場、ロンドン・ニューボンドストリートなどにも路面店を出店。世界一流の宝石店として名を連ねている。
日本で唯一「サイトホルダー」の資格を持つタサキ
https://youtu.be/9-DmKtueDfo
1954年、ファッションの街神戸で田崎俊作により「田崎真珠」として創業されたのがタサキの始まりです。戦後の自由貿易が広まる中、輸出品として供給不足に陥った真珠産業を発展させるため田崎真珠は力を注いできた。
1970年には絶滅寸前となっていたマベ真珠の養殖に世界で初めて成功。以降、素材の養殖、素材の仕入れ、加工からデザイン、仕上げ、販売まで一貫して手がけているジュエラーは、日本では唯一タサキだけとなっている。
1994年には、世界最大手のダイヤモンド原石供給元デビアスグループから直接原石を取引できる名誉ある資格「サイトホルダー」を取得。この「サイトホルダー」の称号を持つ企業は世界でも82社未満しかなく、日本ではタサキが唯一の取得企業となっている。
創業以来、ジュエリーへの情熱を注ぎ続けて発展してきた田崎真珠は、半世紀を経た2009年2月、社名をタサキへ変更して新たなブランド戦略を開始。米国のファーストレディーであったミシェル・オバマ夫人からも一目置かれている新鋭デザイナー、タクーン・パニクガルをクリエイティブディレクターとして招き、ジュエリーのさらなる美しさを追求し続けている。